松・竹・梅
菊・蘭・四君子

「鶴」
31_1

鶴は千年、亀は万年でよく知られる鶴は「長寿延命」「生命力」の象徴として
また夫婦愛の強いことでも知られ雌雄をあわせることで「夫婦和合」「子孫繁栄」の象徴とされてまいりました。


古代におきましても鶴は飛ぶ姿の優美さと端正なたたずまいから特に人気のある鳥でして多数の楽曲、ことわざ、物語に登場し時代を問わず多くの人々に愛されてまいりました。

ただ古代におきましては姿よりも鳴き声が重要視されていたようでして、紀元前後の詩文では鶴の声をとって何かを表現する、ということが散見されます。

その後、おもに湿地に生息することから「俗世を離れた賢人」という連想がされまして、それが神仙思想と合わさり仙人の乗り物とされたことで「長寿」を象徴するようになってゆきました。

ちなみに花札などで有名な画題に「松に鶴」がございますがこれはまず唐の時代(700年ごろ)に詩文で表現され始めまして、その後、宋の時代ごろから絵として描かれるようになってゆきます。

またこの宋というのは日本では平安時代になりまして、この時代に中国から日本へ「松に鶴」の画題が入ってきたことで日本でも平安時代後期以降は松と鶴をあわせた模様が見られ始めるようになります。


ちなみに「松に鶴」図では松の木に鶴がとまっているように描かれているものも在りますが、調べたかぎりでは日本で最初に描かれたのは1543年に狩野元信が描いた「四季花鳥図(霊雲院襖絵 京都国立博物館所蔵)」が最初のようです。

丹頂鶴が木にとまることはない、ということは広く知られていたはずなのになぜ鶴を木の上に描いたのかは残念ながら私には分かりかねますので、そこのところは書画に詳しい別の方に解説をお譲りすることに致します。



「鳳凰」
31_2

青・白・赤・黒・黄の五色に輝く翼を持ち、羽を持つ生き物の王であり四霊の一角をしめるのが風をつかさどり平安な世に現れる「鳳凰」でございます。

この鳳凰、模様として使われてきた歴史は長く古くは殷の時代から装飾としてつかわれておりまして、日本では古墳時代からつかわれ始めるようになりました。

梧桐(アオギリ)の木にすむという伝説から桐と鳳凰を組み合わせた模様はとくによくつかわれる模様になりまして、枕草子の時代には桐の家具に鳳凰を装飾したものが流行し、宇治平等院鳳凰堂、奈良法隆寺、鹿苑寺金閣などの建築物の飾り、さらに竹の実を食すということとあわせ桐、竹、鳳凰を装飾した着物は天皇のみが着用することができるとして大変高貴な模様とされてまいりました。

現代におきましても表彰状や一万円札といった身近なものから祇園祭の山鉾の織物や皇室関係の記念金貨といった特殊なものまで各種慶事に幅広く見ることができる模様でございます。


ただこの鳳凰、「平安」のほかに「風」をつかさどっているのですが、昨今ではこれに加えて「火・炎」と関連付けされていることもたびたび見受けられます。

これは五行思想の流行とともに火に対応し、四神のなかで南をつかさどる朱雀と同一視されるようになった結果、鳳凰と火が関連付けされるようになったという流れがありまして、建築物に装飾されているからといって燃えることを望まれているわけではないのでご注意下さい。


-N